ここ30年で大半が耕作放棄された、生石高原の北斜面に広がる約10万平方㍍の棚田を、地域おこしの目玉にしようとの動きが活発化してきた。「小川地区の棚田再生プロジェクト」で、中世から独自のかんがい技術を誇った「中田の棚田」を整備し、観光の視点を取り入れ再生する構想を練る。小川地域棚田振興協議会の北裕子会長は「これまで先人が続けてきた暮らしは地域の宝。この場所で持続可能な農業の形を追求し、未来につなげる仕組みをつくりたい」と声を弾ませる。
生石高原北で有志が再生〜持続可能な農業追求
中田の棚田がある紀美野町小川地区は、かつて高野山が支配していた荘園の西端。室町時代の高野山文書『天野社一切経会段米納日記』に、中田村が多くの米を納めたとの記載がある。文献を調べた棚田学会副会長の高木徳郎早稲田大学教授は「当時、すでに現在と同規模の水田があったと言える。有名な棚田の多くが江戸時代以降に開発された中で、これ以前の史料が残るのは珍しい」と指摘する。
地面を素掘りしただけの原初的な形の溝が残る、竜王水と呼ばれる用水路システムが特徴。高木教授は「生石高原のわき水を田に供給し、集落へ運ぶ高度なかんがい技術は価値がある」と説明する。
この場所で今も耕作する山本祐司さんによると、70年前までは50軒ほどが暮らし、米作りをしていた。ここ30年で過疎が進み、現在も続けるのは山本さん含め2軒だけ。いずれも70代以上だ。「すべての田に稲穂が広がっていた幼いころの景色が懐かしい。この地域にまた人が集まり活性化してほしい」と棚田を見つめる。
一方、新しい地域おこしを模索していた同町まちづくり推進協議会は、様々な案の中で棚田の再生を決め、小川地域棚田振興協議会を設立した。歴史を学び、昨年5月から水路の整備と放棄地周辺の草刈りや雑木の撤去を進める。
今年6月には地区内外の有志13人が約200平方㍍の田に苗を植えた。指導した同町の農家、花田和也さんは「農業の歴史や文化を肌で感じてもらうところに意義がある。先人のように農薬や化学肥料、機械を使わない従来の稲作をすれば、自然とブランド米になる」と熱弁する。
同協議会は今年を準備の年とし、中長期計画の作成を進める。耕作放棄された土地を水田や畑に再生し、周辺に町花の桜や特産のブドウハゼを植えるほか、人を集める仕掛けを検討していく。北会長は「目指すのは子どもが戻りたい、ここにいたいと思える紀美野ならではの魅力的な棚田です。継続の厳しさが叫ばれる中、あえて再生を目指すには、新たな発想が必要。地元一体で盛り上げ、全国のモデルになれば」と意気込む。
同地区は昨年8月に施行された棚田地域振興法の指定を受け、今後、行政の支援を得て取り組んでいく。県里地・里山振興室は「伝統や文化、景観、防災といった棚田の多様な役割や機能が見直されている。地形的に不利な棚田を皆で持続可能な地域資源にしていけば、観光だけでなく移住や定住につながる」と期待している。
詳細は同町まちづくり課(073・495・3462)。
写真=100枚前後の棚田が斜面に広がるが、その大半は放置され、雑木や雑草で見えない
(ニュース和歌山/2020年9月12日更新)