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 太平洋戦争末期、米軍上陸に備え旧日本軍が築いた本土決戦用の遺構が和歌浦と秋葉山で確認された。和歌山城郭調査研究会の森﨑順臣(まさみ)さん(71)が、研究仲間の故角田誠さんが見つけた作戦地図をもとに独自調査した。天神山から高津子山へ至る尾根筋では約40㍍にわたる本格的な砲台跡も発見した。沖縄のような地上戦が視野に入っていたことをうかがわせ、当時を知る人からは「もう少し戦争が続いていたらと思うと、ぞっとする」との声が漏れる。

自爆を想定か〝肉攻〟2文字

 森﨑さんはこれまで友ヶ島で、潜水艦のスクリュー音を感知するための聴音所や敵兵を狙い撃つトーチカを見つけるなど太平洋戦争時の遺構を調査してきた。一方、角田さんが東京都の防衛研究所で、作戦地図『第15方面軍沿岸防備施設要図』を見つけた。

 地図には、県内沿岸部の陣地、指揮所などの配備を記載。そのうち「和歌浦地区編成要図」には、和歌山城から和歌浦沿岸にかけての道路、施設が書かれ、山間部には重機関銃、重速射砲、山砲などの印がある貴重なものだった。共同研究を約束したが、角田さんは昨年亡くなり、地図を託された森﨑さんが昨年12月から3月にかけ調査した。

 終戦直前、和歌浦には「護阪部隊」を名乗る第144師団が配備されていた。文教高等女学校(現明和中)に本部を置き、和歌浦国民学校などに駐留し、山間部で作業にあたっていた。森﨑さんはこれまでの調査経験や陸軍のマニュアルをもとに尾根沿いを歩き、5ヵ所の坑道、掘削跡を認めた。

 うち天神山から高津子山に至る尾根筋で、北西に約40㍍にわたり岩盤を掘り抜いた砲台跡を発見した。幅約2㍍〜2・3㍍の通路があり、途中、弾薬、火薬を蓄えたとみられる幅6㍍の正方形の空間を備えていた。「ここまで本格的なものは今まで確認したことはない」と森﨑さん。戦時中の軍資料『和歌浦地区隊防御計画』には「天神山拠点占領部隊 十四年式平射砲一門」とあり、森﨑さんはこの記載が砲台と重なると考え、「米軍上陸を想定し、松江方面へ平射砲を向けたのだと思う」と語る。

 このほか、権現山の傾斜地にある壕(ごう)は、「住民が逃げ込むには場所が高い。天神山の頂上近くに、戦闘の要所となる着弾観測所と思われる跡があり、そこを目指す米兵を機関銃で狙うために掘ったのでは」とみる。

 また、秋葉山では、国道42号に面する秋葉山交番裏手で、全長24㍍、幅2・2㍍の坑道を見つけた。和歌浦に上陸し、国道42号を北上する米軍戦車に、兵隊が爆弾を抱え飛び込む自爆攻撃を目指したものと分析。根拠は先の『和歌浦地区隊防御計画』で、そこには秋葉山部隊の任務として、「火力及肉攻ヲ以テ上陸スル敵ヲ撃破ス」の記述があった。「資料の日付は7月31日。最後の最後まで徹底抗戦を考えていたのです」と力を込める。

米軍上陸を恐れた住民

 当時を知る人からは驚きの声があがる。和歌山市の山本潔さん(86)は当時、護阪部隊に食糧を運ぶ仕事をしていた。「兵隊さんは秋葉山頂上に高射機関銃の模型を作り、そこへ米軍が空から攻撃に来たのを狙う穴を掘っていた。米軍上陸のうわさはあり、兵隊さんからは最後は国のために命を捨てるという緊張感を感じた」。和歌浦に住む松井瑛雄さん(87)は「地元の人は隊が山で作業しているのは知っていました。壕も終戦後はもっと多かった。終戦直前、私は戦地でしたが、米軍の艦載機が飛び始めると、みんな戦々恐々としたそうです。実際、応戦に備えていたとは…」。

 現在、森﨑さんは和歌浦に限らず、市内各地に同様の遺構が存在すると推察する。「和歌浦にここまで多くあると思っていなかった。当時を知る人も高齢化し、調査は困難だが、さらに調べたい」と望んでいる。

写真=秋葉山の交番裏北側にある坑道を指し示す森﨑さん

(ニュース和歌山2015年7月4日号掲載)