閉校を控えた雄湊小学校(和歌山市東坂ノ上丁)の前身、湊南(そうなん)国民学校出身で大阪在住の楠山雅彦さん(82)が2月28日、10歳の時に被災した和歌山大空襲の体験を母校で6年生30人を前に語った。楠山さんは「たとえ1ミリでも戦争から平和へ、社会の歯車を動かしたい」と訴えた。
被災体験をつづった『鼠島(ねずみじま)―10歳の空襲体験記』を2005年に出版し、大学生や社会人を対象に講演会を開いてきた。今年度、母校の6年生が総合学習の教材に『鼠島』を使ったことから、「体験を直接伝えたい」と講師を引き受けた。
「皆さんは自分が写った写真を何枚持っているでしょうか。私の子どものころの写真はこれ1枚しか残っていません」と楠山さん。その写真や戦前の和歌山市の地図をスライドで示し、当時の生活や被災状況を語った。子どもたちからの「本を書く時、戦争のことを思い出したくなかったのでは?」の質問に、「公にするのは苦痛だったが、戦争の愚かさ、悲惨さを伝えたかった」。また、「教科書は生徒にとってどのようなものでしたか」には「戦地に赴く兵士の刀と同じようなものと教えられた」と答えた。
突然、空から機銃掃射の標的にされ、防空ごうへ駆け込むといった悲惨な話に、児童は息をのみ、驚きの声を上げた。木田翔くんは、「戦後に権威がひっくり返ったという話が印象に残りました」。宇田朱純(あずみ)さんは「飛行機雲を見つけたら戦争を思い出すと聞いた。そのたびに辛い思いをしてきたのかな」と楠山さんの心の傷に思いを巡らせていた。
写真=児童に語りかける楠山さん(右)
(ニュース和歌山より。2017年3月11日更新)