和歌山市 野村晴一さんが7月10日に法要
72年前の和歌山大空襲で命を落とした仲間の青年兵を弔おうと、和歌山市北新の野村晴一さん(91)が7月10日(月)、貴志小学校西側の歩道橋近くで法要を開く。「身元や遺族がいまだ分からず不びんでならない。同じ部隊で亡くなった仲間は彼だけで、それを知る自分が開かなければと思っていました」と思いを強める。
野村さんは戦時中、大阪を守るために組織された護阪部隊に所属。同小学校を拠点に大阪へ抜けるトンネル掘りや、竹やりの先に爆弾を付けて戦車に突撃する訓練などを行った。
1945年7月9日の和歌山大空襲では、市街地だけでなく松江地区や貴志地区にも焼夷(しょうい)弾が落とされた。軍旗衛兵だった野村さんは軍旗を手にトンネルへ避難する途中、現在の歩道橋付近で一緒に運んでいた青年兵に焼夷弾が直撃、即死した。
青年兵の氏名や身元は分からず、手がかりを探してきた。近所に住む貴志禎之さん(84)は「戦後、現場近くの川で遊んでいると、川底から銃が見つかりました。おそらく、その兵隊さんの銃だと思います。ただ、戦時中を知る人はほとんど亡くなり、銃の持ち主を特定するのは難しくなっています」と話す。
野村さんは昨年、自らの人生を書籍『私の履歴書』にまとめ、長年、貴志地区で探してきた戦争遺構も見つけた。法要も念願の一つで、「短い間だったが一緒に過ごした仲間。遺体を見守る屍(しかばね)衛兵として彼に付き添い、今でも近くを通るとありありと思い浮かびます。少しでも心当たりのある人は、参列してほしい」と呼びかけている。
法要は午前9時から。野村さん(073・433・1135)。
写真=当時の記憶を語る野村さん(左)と貴志さん
(ニュース和歌山/2017年7月1日更新)