和歌山、奈良、三重の3県で死者73人、行方不明者15人を出した紀伊半島大水害から9月4日で10年。当時、大きな被害が出た那智勝浦町で大切な人を亡くした思いを胸に、活動を続ける2人の女性がいます。一人は、あふれ出た那智川の激流に夫や近所の人たちを奪われた悔しさから、防災士として災害への備えの大切さを伝える久保榮子さん(78)、もう一人は、親友を失った悲しさを胸に、災害に強い森林づくりを始めた奥川季花(ときか)さん(25)。2人の思いに迫ります。
被災経験伝える語り部 防災士資格取った久保榮子さん
「早く来て!」。あの日の午前2時ごろ、奥の部屋から久保さんの夫が出て来た時、水はすでに胸まで来ていた。玄関の戸は開かず、娘を含め3人で窓から外へ。しばらく雨どいにぶら下がっていたが、我慢できなくなった久保さんは、3㍍先にある駐在所のフェンスへ移ろうと飛び込んだ。
しかし、流れは激しく、あっという間に飲み込まれた。もがいても、もがいても水面から出られない。バタバタさせていた手が何かに触れた。「歩道のフェンスだ!」。足もつく。フェンスを握り、ゆっくり水の中から顔を出した。家から100㍍以上流されていた。
朝になり、水が引き始め、自宅へ戻った。娘は津波のような水の勢いで偶然にも屋根に上がれ、助かっていた。しかし、夫は遺体で見つかった。
その年の暮れ、恐怖と悔しさが残る体験を知ってほしいと、那智勝浦町役場へまとめた文章を持参。翌春、町が発行した『町を襲った台風12号の記録』に掲載された。これがきっかけとなり、町内の中学校から講演依頼が寄せられた。
講演当日、新聞紙で簡易トイレを作る方法を生徒に教える人がいた。防災士だった。「私にももっとできることがあるはず」。勉強を重ね、72歳で防災士に合格。水害の語り部として、手作りの紙芝居を使い、小中学校や地域の集まりなどで65回の講演を重ねてきた。
最近は井関地区で犠牲者が出た家の場所を、手描きの地図にまとめた。その表紙にはり絵で18枚の花びらをあしらった。「地区内で亡くなったのが18人。皆さん知っている方ばかり。もっと早く避難していれば…」
自らの経験を教訓にしてもらおうと、万が一に備えて普段から家族会議を開いておくこと、危険が迫った場合の早めの避難を訴える。「私自身、那智川であんな水害が起こると聞いたことはなかった。自然の力は本当にすごいし、この先、あの時以上の災害が起こるかもしれない。犠牲者をゼロにするため、今後も活動を続けていきます」
土砂災害減らす森づくり 林業に取り組む奥川季花さん
紀伊半島の森で、地下足袋を履き、木の苗を背負って山の手入れに汗を流す。奥川さんは育林を手がける林業会社に勤める傍ら、土砂災害リスクの低い山づくりに取り組む。「各地で被害が発生する中、災害の少ない森林整備の基準を作り、全国へ展開を」と意気込む。
高校1年の夏、那智勝浦町の実家で紀伊半島大水害に遭った。首まで水に浸かり命からがら屋根へ逃げた友人、家を流された後輩、そして命を落とした親友──。多くの人が悲しみにくれる中、泥かきをしながら、「地域のために」との思いを募らせた。
大学では、地元で盛んな観光業と防災を合わせた地方創生を視野に、ビジネスや観光を勉強。しかし3年の時、再び地元を大きな台風が襲った。「毎年のように台風被害が出て、その度に『また災害が起きるのでは』と皆がおびえている。地域のためには災害自体をなくさなければ」
人間の力では防げないと思っていた土砂災害や水害だが、そのメカニズムを調べると、森林管理次第でリスクを減らせる可能性があると知った。県内の林業会社へ足を運び、現状や課題を学びながら、林業関係者とそれ以外の人をつなぐ活動をスタートさせた。
社会人2年目の2019年、山づくりで災害を減らし、豊かな森林を未来に残そうと、個人事業「ソマノベース」を立ち上げ、今年5月に法人化。現在は林業会社や大学の研究者らと、活用されていない山で3年かけて間伐、植樹を行い、林業を通して災害リスクの低い森林整備の基準を作る。
一方、林業にかかわりのない人も植林に参加できるようにとクラウドファンディングを2回実施し、10月、苗120本を田辺市の山へ植える。同志社大生向けの森林保全防災プログラムも手掛け、その一環で学生と植林をする準備を進める。「防災教育や砂防ダムの建設に加え、森林づくりも人ができる防災。答えが出るまで数十年かかりますが、だからこそ今、始めるんです」
(ニュース和歌山/2021年9月4日更新)