全国に約180万人いると言われる〝鈴木〟さん。この姓が全国へ広まる原点となったのが、海南市藤白の鈴木屋敷だ。近年は老朽化が進み、崩壊寸前だったが、地元有志でつくる「鈴木屋敷復元の会」が再生に向け、資金を集めて整備を進め、3月30日に竣工式を迎える。
上皇や法皇義経も滞在
藤白神社境内にある屋敷の歴史は、熊野詣でが盛んになった平安時代末期にさかのぼる。1150年ごろ、熊野から藤白に移り住んだ鈴木一族が、熊野を目指す上皇や法皇らを里神楽、相撲大会、和歌会などでもてなし、さらに熊野三山までの案内役を務めた。源義経も幼いころ、屋敷に滞在したと伝わっている。
加えて、鈴木一族は熊野信仰を普及させるため、屋敷を拠点に東海・関東地方に3300ヵ所あまりの熊野神社を建てたと言われる。藤白神社責任役員で、復元の会事務局長を務める平岡溥己(ひろみ)さんは「こうした背景があり、明治時代に入って庶民に苗字が許された際、多くの人が鈴木を名乗ったと思います」と語る。
国史跡指定で活動が本格化
江戸時代の地誌書『紀伊国名所図会』に、旅人が休憩する様子が描かれている屋敷だが、1942年に122代当主が亡くなって以降は空き家となった。放置された建物は長年、風雨にさらされ、老朽化で崩壊を待つ状態となっていた。
状況が変わったのは2015年。屋敷を含む藤白神社が藤白王子跡として国史跡となった。12年から活動していた「紀州藤白鈴木屋敷を育てる会」を母体に、本格的な再生に向けて「鈴木屋敷復元の会」が立ち上がった。
神社総代や地元自治会、商工会議所などでつくる会が目指したのは、『紀伊国名所図会』に描かれた江戸時代の姿。柱や梁(はり)、瓦(かわら)は解体前のものをできるだけ再利用し、補強した。
建物の工事はほぼ終了。3月末に向け、庭を含む外構工事が進められる。復元完了後、屋敷は見学可能に。平岡さんは「全国の〝鈴木さん〟には第二のふるさととして、生涯に一度は訪ねてほしい。歴史好きの皆さんにも、平安の時代に思いをはせてもらえれば」と話している。
和歌山県内観光の拠点へ復元の会 神出勝治会長
再生に向け、中心になって活動してきたのが、復元の会会長の神出勝治さんだ。「事業費1億8000万円のうち、国、県、海南市からの補助金を除いた自己負担は7000万円弱。全国にいる〝鈴木さん〟をはじめとする多くの皆様からの寄付で達成できました」と感謝する。
完成まであと3ヵ月。「まずは復元した建物を見学し、樹齢200年と言われる木々や池のある庭を眺め、四季折々の景色で心を癒してもらいたい。ここで心を満たした後、海南市内、さらに熊野、高野へと足を運ぶ──。県内をめぐる観光の拠点を目指します」
平安時代、熊野へ向かう人々を歓迎した場所が、時を超え、来県者を出迎える入り口となる。
(ニュース和歌山/2023年1月1日更新)