「紀州流」伝える記念碑 視野に
「紀州流」と呼ばれる土木技術で、和歌山だけでなく関東でも水害予防、新田開発を進めた井澤弥惣兵衛の墓を、子孫の井澤佳代さん(82)が5月4日、海南市溝ノ口にある菩提寺の宗光寺に移設した。佳代さんは「お参りしやすい寺に移すことで、弥惣兵衛さんの話がこれからもずっと受け継がれていく」と喜ぶ。移設を機に、有志が2028年の紀州流発祥300年に合わせて記念碑建立を計画、6月25日㊐に準備会を同寺で開く。
弥惣兵衛は1663年(1654年説も)、今の同市野上新生まれ。幼いころ、細く曲がりくねった亀の川を見て、「まっすぐにすれば豪雨でも流すことができ、水害を防げる」と話したという。1706年、亀の川が直線的に流れるよう工事を主導。現在の紀三井寺交差点付近だった河口を、浜の宮ビーチ近くに付け替え、堤防も整備した。
その後、徳川吉宗の命を受け関東へ。利根川から農業用水を引き、排水路となる河川を掘削し新田開発を進めるなど各地で紀州流事業を行った。
没後、東京・四ツ谷の心法寺に墓が建立され、現在も残る。今回移したのは、野上新の弥惣兵衛邸敷地内の墓地にあった墓。墓地まではあぜ道を登らねばならないことから、30年ほど前から佳代さんが検討していた。
宗光寺には、弥惣兵衛と父、息子、先祖代々の墓の4基を設置。佳代さんが会長を務める「井澤弥惣兵衛さんを知ろう会」の山添高道事務局長は「宗光寺は菩提寺ですが、いままで弥惣兵衛さんの墓が無かった。紀州流の記念碑を建てることで功績を伝えるとともに、海南の新名所に」と力を込めている。
(ニュース和歌山/2023年6月10日更新)