人間が乗れる極限の大波で競うハワイ・オアフ島のサーフィン大会「エディ・アイカウ・ビッグウェーブ・インビテーショナル」に、新宮の角勇海さん(22)が選ばれた。日本人4人目で、関西からは初。勇海さんは「小さいころから『伝説の大会』と聞いていました。勇者、人格者らヒーローが集まる場。毎年呼ばれる選手になるよう、やり続けます」と希望に満ちている。
1978年、ハワイで遭難船の乗組員を救うため、地元のエディ・アイカウさんが荒波の中、サーフボードで向かったが、帰らぬ人となった。その遺志を継ぐため、85年に大会がスタートした。
県サーフィン連盟の梅本利樹会長は、「通常はどんな技を出したかなどが採点基準ですが、この大会はざっくり言うと、どこからどこまで、どれだけ大きな波に乗れたかが評価される、世界最高峰の大会です」。巨大な波に命がけで挑戦する姿を讃えるのだ。
勇海選手は、巨大波に乗るサーファー〝ビッグウェーバー〟の父・直(すなお)さんの影響で、生まれた時から海に親しんできた。1人で乗り出したのは小学校2〜3年から。「力のある波を生み出す那智勝浦の下里海岸が、いまも練習拠点。冬場はハワイやバリに行くことが多いです」
エディ・アイカウは予選のない招待大会。これまで日本から選ばれた3人は、全日本で好成績を残したのを評価された。
一方、勇海選手は大会にはほぼ出場したことがない。直さんは「各地の大会に出るには、時間も費用もかかる。安定して巨大波が来るハワイなどで一定期間滞在する方が、サーフィン人生にプラスとの判断」と明かす。
ハワイ滞在時、練習場所は大会開催地のオアフ島ワイメア湾。混み合う時間帯を避け、毎朝5時ごろから波に乗る。高校生の時には、現地でサーフィン中、人命救助をしたこともある。日々、黙々と取り組む姿を地元サーフィン関係者が認め、日本人最年少での招待につながった。
大会は12月14日㊏〜来年3月13日㊍のうち、高さ13㍍以上の大波が続くと見込まれる1日だけ開かれる。条件の厳しさから、過去39年で開催は10回しかない。勇海選手は男子50人中、補欠に当たる代替選手20人の1人。だが、梅本会長は「本選手には名誉招待のような年配者がおり、出場権を譲ることもしばしば。また、練習中のケガも多い。代替選手の出場可能性は極めて高い」と言う。
「エディ・アイカウに名を連ねられるのは、まだ先」と考えていた勇海選手。大会を前にし、「巨大波に恐怖心はありますが、乗れた時の達成感の方が大きい。これからも世界中のビッグウェーブを制覇していきます」と前を見据えている。
(ニュース和歌山/2024年12月7日更新)